Family


私がこのHPを立ち上げるきっかけとなったのが、この家族のページです。




H15年11月6日、私の父は64歳で還らぬ人となりました。

今年の夏になって持病の肝臓の病気(肝硬変)の症状が悪化し、9月に検査入院したときは
担当医から「肝臓ガンで、余命は年内いっぱいでしょう。」との宣告を受けました。
それは私たち家族にとって、あまりにも突然の出来事であり、父に告知などはとうていできませんでした。

母と妹が元看護婦で、普通の家庭よりは医学知識があるということと、
父本人もかかりつけの医院で週2回、肝臓を治療する注射を欠かさず打ってもらい
家に帰ってもちゃんと薬を飲んでいたので、まさか・・・という気持ちでした。

入院後、10月の検査でさらに状況は悪化し、年内どころか「今月一杯でしょう」と・・・。
そして何とか10月を乗り切ったものの、11月に入り急速に症状が悪化し、11月6日に旅立っていきました。

本人には最後までガンの告知をしなかったということで、父から遺言のような言葉を聞くことも、また
「おとうさん、今までありがとう。」というような言葉を(父の意識があるうちに)かけることもできませんでした。


未だ、父の死を受け入れられない気持ちと、現実との中で葛藤する日々が続いています。
しかし、せめて父が生きていた証を何かに残したい、残さなければ、という思いからこのHPを作ることにしたのです。


ここでは、父の生前の様子を書きとめていた、母たちの日記を中心に紹介していきたいと思います。
先ほども触れましたが、母と妹は以前、看護婦だったので、どうしても専門用語の表記があり
やや分かりにくい部分があるので、その点はご了承下さい(なるべく原文のまま載せたかったので)。



「父の入院前後の母の手記」(8月23日〜9月15日)

「自宅で過ごした最後の週末」(10月11日〜12日)

「最初の急変」(10月14日〜19日)

「個室から個室へ・・・」(10月20日〜26日)

「何とか10月を乗り切ったが・・・」(10月27日〜11月2日)

「永遠の別れ・・・」(11月3日〜8日)






「お礼の手紙」

「母の手紙」

参考「検査データ(その1)'03年9月分」

参考「検査データ(その2)'03年10月以降」







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