子供のころの私

(その2)中学〜高校時代




〜落ち着きが無い中学一年生〜


中学生になった私ですが、相も変わらず毎日暗くなるまで
近所の公園で野球や靴飛ばし(懐かし!)をしていました。

ちなみに真冬でも半ズボンでした(笑)。

ロクに勉強もせず、いたずら盛りだった私は先生を困らせてばかりで、
怒られることやビンタは当たり前(汗)。

当時の担任の先生は『両手ビンタ』(=サンドイッチで叩く)の達人(?)で、
毎日のようにその洗礼を受けていました。

おまけに中一のときの通知表には「落ち着きが無い」とまで書かれる始末(汗)。
でもそれだけのこと、してきたから仕方がないんですけどね・・・(笑)。

とにかく来る日も来る日も遊んでばかりの毎日でした。






〜美術部〜


中学時代の部活動は運動があまり得意ではなかったことと、元々
絵を描くのが好きだったこともあり(決して得意なわけではない)『美術部』に所属していました。

最初はいやいや活動していましたが、部活動で描いた「環境週間のポスター」が
市のコンクールで『まぐれ』で入賞したことがきっかけで、本腰を入れて部活動に励むようになりました。

だって後にも先にも賞状なんて貰ったのは、これっきりでしたから。

そんな私も中3になると他に成り手がいない、という理由で部長になってしまいました。
そんな器じゃないのに、ははは…

でも、なってしまったからにはやるしかありません。

色んな雑務に追われる毎日でしたが、勉強嫌いだった私にとっては家で勉強する時間がない分
かえって好都合だったのかも知れません。

今、振り返るとこの頃が一番充実してたと思います。





〜中学時代の勉強〜


大嫌いな勉強ですが、当時は定期的に行われた『北辰テスト』による偏差値で学力を判断していました。
当時の学力は…うーん、「可もなく不可もなく」、といったところかな(汗)。

家ではほとんど勉強をしなかった私ですが、学校の授業はきちんと受けていました。
良い先生たちに恵まれたこともあって、塾へ通わなくても何とか授業には付いていけました。

当時、学習塾に行くのが当たり前の時代だったのですが、それらの先生方のお陰で私は「塾」というものには
一度も行ったことはありませんでした。

「何でわざわざ勉強なんかのためにお金払ってまで塾になんか行くんだろう?」
と思っていました・・・っていうか勉強、大嫌いですから(苦笑)。

そんな私でしたが、高校受験ではな、なんとダメ元で受験した私立の進学校に合格してしまいました!
自分でも本当にビックリで、今もって何で合格してしまったのかが分かりません。

私の中での人生の七不思議のひとつとなっております(苦笑)。

偏差値では私なんかよりもずっと上の同級生が落ちたりしてたので、
学校以外でロクに勉強しなかった私なんかが合格してしまったのは何だか申し訳ない気がしましたね。

そんなわけで当初は市内の公立高校に進学する予定でしたが、せっかく合格したんだから、
ということで結局、その高校に進学することになりました。


後に地獄の高校生活が待っていることも知らずに・・・





〜悪夢の高校生活〜


期待に胸を膨らませて進学した高校でしたが、入学後に私を待っていたのはテストの嵐でした。

おかげで通学電車の中では周りのカワイイ女の子には目もくれず、
来る日も来る日も必死でテスト勉強をする毎日(苦笑)。

中でも一番嫌だったのが毎朝、ホームルーム前に行われた漢字のテストでした。

何故なら、10問中正解が5問以下の日が2日続くと即坊主、
という信じられないものだったからです。

せっかく中学卒業のころから延ばし始めた髪です。
やっとここまで伸ばしたのに坊主なんて冗談じゃない!

何とか切り抜けてきましたが、1度だけその洗礼をうけました(涙)。
あのときは哀しかったなぁ…

強制されることが大嫌いな私は、その頃からただでさえ嫌な勉強に対する興味を失っていました。

さらには、その授業内容も最悪でした。

とにかく詰め込むだけ詰め込んで、生徒が理解していようがいまいが
委細かまわず授業を進めていくからです。

なぜそんなに急ぐのかというとすべて大学受験に備えるためで、
具体的に言うと高3の1学期ですべてのカリキュラムを終え、
2学期からは授業時間に受験勉強だけをするのです。

ただでさえ勉強嫌いだった私は、そんな詰め込みで面白みのない授業が嫌になり、
元々苦手だった英語のみならず、得意な数学や科学まで
授業についていくことがやっと、と言う状態になっていました。

ほとんど落ちこぼれです・・・

大学進学を第一の目的とするならば、この方法がベストなのかも知れません。
でも、生徒を機械のように管理していくこの学校のスタイルは私にとって耐え難いものでした。

また、校則の厳しさも半端ではなく、学校の前どころか最寄の駅にまで教師が張り付き、
制服&制帽チェックをしていました。

荷物チェックも抜き打ちで行われ、違反が発覚したら荷物の没収はもちろんのこと、
その場で体育教官室に連れて行かれ、即坊主です。

もちろん、パーマ&茶髪などは論外でバイトなども一切禁止!

とにかく「管理・管理・管理」で最悪の高校でした。

今思えば、思い切って中退した方が良かったのかも知れません。
でも学校を辞めて何かしたいことがあったのかと言うと、そういうわけではありませんでした。

とにかくこんな学校から早く卒業したい…

そんなことばかり考える毎日でした。





〜高1の文化祭〜


つまらない日常の中での数少ない楽しみは文化祭でした。

男子校で異性に飢えている(汗)生徒たちは、
この日があったからこそ耐えることができたのではないのでしょうか(笑)。

実は中3のときに片思いだったコが同じ市内の女子高に進学していました。

卒業以来、会う機会がなかった私は文化祭の時に改めて告白しよう、とずっと考えていました。

ところがです。その女子高と私の学校の文化祭の日がな、なんと同じ日だったのです!
これには大ショック!

学校をサボれば良いことは分かっていましたが、
当時は何故か皆勤賞にこだわりがあったものですから。

果てさて、どうしよう・・・

朝、出席をとった後でそーっとトイレに行き、用意しておいた私服に着替えて学校から抜け出しました。
もちろんそのコ(がいた女子高)の文化祭に行くために。

母校のスクールバスにそ知らぬ顔をして乗り込んだ私は(文化祭用の送迎バスが出ていたんです)、
女子高の文化祭へと直行しました。

学校に着くと(中学時代の同級生のコに頼んで)彼女を呼び出して、勇気を出して…

コクりました。

いやぁ、ホント恥ずかしかった。

…でもその時返事はもらえず、結局あとでフラれちゃいました(涙)。

今となってはいい想い出です。

ちなみにその後、そ知らぬ顔をして母校に戻ったのは言うまでもありません。





〜高2の文化祭〜


その一年後は最悪な年でした。

文化祭の数日前から原因不明の腹痛が起こっていました。

子供の頃から胃腸系が弱い私は、たびたび『正露丸』のお世話になっていて、
大抵の腹痛はそれで治っていました。

ところがです!
今回はどんなに飲んでも痛みはちっとも治まりません。

うーん、これはおかしいぞ??

そこで母に症状を説明すると・・・

「あんた、それもしかして盲腸じゃない?だとするとすぐに手術しなくちゃダメだから今晩は絶食ね。
そうすればもし盲腸だとしてもすぐに手術できるから。とりあえず明日朝一番で病院に行くわよ。」

何でこんな手際の良い根回しが出来たかと言えば、その病院は何を隠そう、
母が以前勤務していたところで顔見知りの看護婦や先生がたくさんいたからなんです。

でも、当の本人(=私)は心の準備などは全く出来てません。

「え、手術?」
「しかも明日??」
「ま、まさか…冗談でしょ???」

そんなキモチで翌朝、病院に行った私でしたが、診察結果は…
母の見立て通り盲腸でした(涙)。

その場で入院の手続きがとられ、予定通り午後に手術。

恐るべし、母上!!

ということで入院中に楽しみだった文化祭は過ぎてしまいました(涙)。
今となってはトホホな想い出ですね。





広告 無料レンタルサーバー ブログ blog