「母の手紙」


〜この手紙は私の母が昨年(H15年)12月に、親しくしていた友人に宛てたものです〜
(ほぼ原文のままですが、一部修正してあります。)




この度の経緯について、取り留めなくではありますが、書き綴りました。
ご一読下されば幸いです。


主人の病に気付いた時には遅過ぎて、深く静かに潜行していた慢性肝炎が
肝硬変へと進み、最終的には肝細胞癌で尊い命を落としました。

九月二日に家族が告知を受け、その時点で非情にも
「あと四ヶ月、お正月は迎えられるかどうか」という事でしたが、九月八日に 入院し、
二ヶ月足らずの入院闘病生活を経て、去る十一月六日(誕生日から五日後)
私たち家族の前を、疾風のごとく駆け抜けて逝ってしまいました。

本人は元気になって退院できる事を信じておりましたから、
はっきり告知する事も叶わず、従って遺言もなしでした。

子育て後は、現場に復帰してフルタイムで働く、仕事人間の私の日常を
文句を言いながらもさりげなくサポートする、私の良き理解者でありました。

その長きに亘る恩や「ありがとう」の感謝の気持ちを、とうとう一言も伝える 事が
できずに別れはやって来て、生涯のかけがえのないパートナーを失いました。
本当に残念で断腸な思いです。


去る十月十四日、急変の幕開けのムンテラ(Drからの病状説明)で
「この分だと十月一杯」と宣告され、個室に移りました。
その日から即、私は病院に泊まり込みとなる壮絶な戦いの始まりでした。

私も息子も仕事をしながら何とか調整し、嫁いで近くに住む娘は
家族の協力を得て、幼な子を抱えつつも三人で時間から時間の交替で、
二十四時間、誰かひとりは必ず病室に居るようにし、食事も
主人の顔の見える所で摂り、みなで病院を拠点に生活していました。


約三週間ではありましたが、中味の濃い時間の流れでした。
この姿は病棟のスタッフの間でも評判だったようで、
十月二十日頃のまだ何とか元気だった或る日、看護主任が主人に向かって
「K林さんは幸せ者だよ!」と声を掛けてくれた言葉を忘れる事ができませ ん。

その時、主人はその言葉の重みを理解できたでしょうか?
私達も望まれてもこれ以上はできない、という介護の限界の中で、
当人はもっと辛いんだから、と一丸となり頑張りました。

その必死な家族愛の姿を、第三者がしっかり見ていてくれた事をとても嬉し く、
有り難く思いました。

瀬戸内寂聴氏の言われるように、その人に生まれた時から既に定められている という
「定命(じょうみょう)」を全うして主人は旅立ったのでしょうか。
せめてもそう思うことで悔いの連続の中で今、懸命に自身を納得させる日々で す。


通夜も告別式も余りにも嘘っぽくて他人事のようで、自分が遺族席に
座っている事が信じられないまま、あれよあれよという間に
時間だけが過ぎて、架空の出来事のようでした。

主人が今にも帰って来そうで、まだ家の中は元気だった頃のまま何も片付けて
いませんが、これから先が徐々に本当の悲しみや淋しさを味わうのかと思いま す。


最初の告知によるショックで、何日も眠れず食べられずで、一週間位の間に
体重があっという間に六キロ余り減り、急激に体調を崩した私を最後まで気 遣って
一日も早く検診を受けるよう「早く行けよ」と再三促してくれた主人でした。

受診したいのはやまやまでしたが、日毎病状が悪化する中で、やはり
自分の事は二の次で、とても気持ちの余裕などはありませんでした。

私の「定命」はいつ頃なのか計り知れませんが、今改めて命の大切さを
痛感しているところです。ちなみに主人が心残りにした、私の健康診断は
去る十一月二十七日受診、来る十二月十二日の結果待ちです。


これからは主人の分まで長生きできるよう、生身の体を大事にし
一日一日を精一杯、しっかりとした形で刻んで行きたいと思っています。
今後共、ご指導とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。

皆様におかれましても時節柄、ご自愛専一に佳き年が訪れん事を
心よりお祈り申し上げます。


平成十五年十二月十日

志○○(←母の名前です




追伸


「志宝院勇三真慈居士」

主人の戒名です。


菩提寺である「曹洞宗無量山萬久院」の傘松祐三(かさまつゆうざん)和尚が
ご自身のお名前の一字を下さり、永平寺参拝旅行に何度かご一緒したり、
日頃、目に触れて感じられた、私たち夫婦の印象から授けてくれたものです。

私は主人にとって、本当に宝物のような存在だったのでしょうか・・・。
過分のお計らいに涙し、敬意を表します。

ともかくもドラマより凄いシナリオで、今まだ自分の置かれた立場に違和感が
ありすぎて、落ち着かない日々です。時を経て、本来の自分を取り戻せたら
機会があればその当事者にしか語れないもの、気持ちを何らかの形で
素直に伝えて行きたいと思っております。


(息子がパソコンのホームページに、家族の目で記した闘病記録を作成中で す。
その内に出来上がると思います。折がありましたら覗いてみてください。)




〜そしてH16年1月2日に、このHPが完成しました〜






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