「自宅で過ごした最後の週末」(10月11日、12日)




10月11日(土)

午後3時ころに、当日分の点滴を終えた父を迎えに行くため、(母と)病院へ向かった。

通常は外泊は出来ないのだが、在宅看護にご理解のある担当看護師さん&主治医の先生と、
私の妹が(元)看護婦だったこともあり、特別に自宅での点滴許可をもらっていたのだ。

応対してくれた看護師さんから(点滴の順番などの)説明を受けたあと、
12日の分の点滴セットを受け取り、自宅へと戻った。


父は家の中にはなかなか入らずに、庭を眺めていたが、しばらくすると庭木の剪定を始めた。
「寒いから早く家の中に入ればいいのに。」と声を掛けたが、30分くらい経った後でようやく
家の中に入ってきた。


父が入院してからは、薬の副作用(吐き気)のため、病院内での食事はほとんど
出来なかったのだが、この日の夕食(鮨)では甘えびを食べることが出来た。
その時は一口ずつゆっくりと、ゆっくりと噛み締めながら食べていた。






10月12日(日)



早朝、(それまでは父がしていた)自宅の池の掃除をしていると、何やら前方の(風呂場の)
窓から水しぶきが見えた。近づいてみると、なんと父が自ら風呂の掃除をしていた。

私は「そんなことは俺がするから、お父さんはゆっくりしていてよ。」と言ったのだが、
父は黙々と作業を続けていた。


9時すぎから、父が部屋の整理をし始めた。金庫の中や(父が)使用していたものなどを
ゆっくりと仕分けしていたのだが、なかなか作業が進まない様子で、歯がゆそうに
「なんか頭が働かないなあ・・・。」と呟いていた。

また、点滴を始める予定の時間が過ぎていたので妹が、「お父さん、早く点滴を始めないと
(終わるのが)遅くなっちゃうよ。」と声を掛けたのだが、そんなことはお構いなしの様子だった。
結局、点滴開始の時間は11時過ぎになってしまった・・・。


結果的に今回が(父が)自宅に戻ることができた最後の日になってしまうとは、そのときは
想像も出来なかったが、もしかしたら父にはその予感があったのかもしれない、
と今になって思う・・・。




昼過ぎに、母の義弟が見舞いに来てくれた。

昼食にとんかつの出前を頼んで、みんなで食べたのだが、残念ながら父は
吐き気のために、食べることが出来なかった。

しばらくすると、最初の点滴に入っていた薬(ラシックス=利尿剤)が効いてきたようで、
頻繁にトイレに行くようになった。

自宅のトイレ内には点滴などを吊り下げるフックがなかったので、私はその都度、
点滴を手に持って一緒に行った。

すると父が、「いちいちT(私です)が一緒に行くのは大変だから(トイレの)中に
点滴を掛けるフックがあればいいなあ。」と言ったので、私が「来週、お父さんが
帰ってくる時までには作っておくね。」と答えたことを覚えている。


昼前から始めた点滴が終わったのが夜になってしまったこともあり、夕食を食べることも
出来なかった。点滴の中には「アミノレバン」という肝臓の薬が入っているのだが、
その薬が投与されてからしばらくすると必ず吐き気をもよおしてしまうのだ。

この2日間で父は食事がほとんど取れなかったのだが、自宅で色々なことができて
(そういう意味では)満足だったのだろう、と思う。



ただ、父を見ていて一つ一つの動作がやや、緩慢だったのが気になった。
昨日と今日であれだけ動いたのだから疲れが溜まったのかも知れない、
とその時は思っていた。しかし、数日後に検査結果を見たとき、
血中アンモニア濃度がそれまでの数値と比較して、異常に高くなっていた。

以前、妹が「肝硬変が進むと、血中アンモニア濃度が高くなって(それが原因で)
意識がもうろうとなる『肝性昏睡』になる。」と言っていたことがあったが、
恐らくその初期症状だったのだろう。

また、GOT&GTP(=肝臓の状態を表す)の数値の異常な高さから、
そうとう体もだるかったはずだ(本人は決して言わなかったが)。



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