「永遠の別れ・・・」(11月3日〜8日)
11月3日(月)
0:15 KT37.5℃。 吃逆(+)。
3:00 巡回オムツ交換。 排便(+)、粘着便大さじ1くらい。
5:00 巡回オムツ交換。 排便(‐)。
6:00 KT37.9℃、BP120/70。 氷枕交換。Ha600ml(+100ml)。
ずっと仰臥位で経過。 両手で胸元の布団を(下に)下げたり・・・。
額に冷たいミニタオルを当てる。 目と口元を軽く清拭す。余り抵抗見られず。
8:00 点滴交換。
9:00 (点滴)側注。ソリタT3.200ml、アンコーマ2A、ラシックス1A。
「おはよう、Kさん。」というR反Nsの呼びかけに応答あり。 細かい会話には応じず。
9:15 担当看護師のR反さんと色々な雑談をした。 忙しいさなかだったが、彼女は話に耳を傾けてくれた。
「個室に移ってからは、家族の誰かが必ず一人付き添ってくれていて、凄いと思います。」 「Kさんも(そのことには)きっと感謝していると思います。」 ともおっしゃってくれた。 「A山Drをはじめ、Nsさんも良い人が沢山いて・・・ありがとう。」 とR反さんに話すと、 「4F北のNsは良いメンバーが揃っていて、それが私の誇りです。」 とのことだった。 担当Drにも、「今までの経過の中で、(吐き気を軽減するために、アミノレバンの量を 減らしてもらったことや、点滴を預かっての外泊許可など)さしでがましいことを色々 頼んだにもかかわらず、大抵のことは、こちらの言うとおり聞いてくれ、 協力してくださったことには本当に感謝している。」 と伝えた。 「(Kさんを)何とか助けてあげたかった・・・」 とR反さん・・・。 |
10:00 Ha、割合順調に出ている。200ml。 明朝、血液検査予定(アンモニア関係も)。
11:00 臀部洗浄、排便少量。 アンダーム塗布および亜鉛華ガーゼ貼付。氷枕交換。
体位変換にちょっと苦痛な表情。 仰臥位のまま。
12:00 Ha300ml強。 「トイレに行ってくるよ。」と言うと、うなずく。
12:40 Ha350ml。
13:25 巡回オムツ交換。 尿漏れ&排便なし。Ha400ml(前日より150ml多い)。
13:35 BP120/70、KT37.4℃。
15:40 Ha450ml。
16:25 巡回オムツ交換。 排便少量あり&出血なし(亜鉛華ガーゼ交換)。
17:30 BP112/50、KT37.6℃。 氷枕交換。
18:00 Ha500ml。
20:00 口で呼吸しているので、緩めにしぼったガーゼを口にくわえる。
BP110/52、KT37.9℃。Ha600ml。
「Kさーん。」S田(Ns)さんの呼びかけに「あー。」と応答あり。
20:35 巡回オムツ交換(K谷Ns)。 粘液便ごく微量。
21:00 Sat92%。
21:40 氷枕交換。
22:15 Ha650ml。KT37.8℃。 熱感(+)。冷やしたミニタオル額に当てる。
23:50 巡回オムツ交換。 粘液便微量。肛門周囲のただれ赤味なし。
亜鉛華ガーゼ交換(S田&K谷Ns)。 Ha700ml。
冷やしたタオル(額に)頻繁に交換す。濡れたガーゼ口元に当てる。
「トイレに行ってくるよ。」と言うと閉眼したままうなずく。
Ha順調。バルン入れ替えて良かったかも。
〔Sat(サーチュレーション)=血中酸素濃度。通常値は95%くらいで、90%切ると良くない
と看護婦さんに言われました。〕
(6:00〜8:00/13:00〜19:00/20:20〜22:00)
11月4日(火)
0:20 吃逆(+)。 ウトウトしている感じ。
3:30 巡回オムツ交換。 排便(‐)、尿漏れ(‐)。 浅眠状態で経過中。Ha780ml。
4:30 軽い寝息を立てて眠る・・・。 体動は殆どなし。
5:30 巡回オムツ交換。 排便極少量、粘液便なり。
肛門周囲のただれ、ほぼ治癒した感じなれど念のため、亜鉛華ガーゼ交換す。
「トイレに行ってくるよ。」と言うと目を開け、うなずく。
熱感あり。額に冷やしたタオル当てる。
6:00 Ha800ml破棄す。 KT37.6℃。吃逆(+)。しばらくして止まる。
7:00 採血。
8:00 T、会社へ。 「行ってくるよ。」の声に応答あり。
9:00 髭剃り施行。 顔面、両上肢清拭。
9:45 Y(妹)来る。 声掛けに反応あり。
10:10 IVH挿入部消毒。ルート交換。
DIVメイン交換Keep。強ミノ60ml.iv、ラシックスiv。 (側管)DIV ソリタT3.200ml、
アンコーマ2A。 BP106/62。Haの流出少なめ(60ml濃縮尿)
11:00 軽い寝息を立てて眠っている。 適時、額のミニタオル交換。
ラシックスiv後、少しずつHa流出している。 時折吃逆(+)。
12:00 氷枕交換。 Ha100ml。
12:10 茶褐色粘液便少量(+)。 肛門部ただれ改善傾向も、念のため亜鉛華ガーゼ当てる。
オムツ交換(Yが自分で)。 尿漏れ(‐)。
12:45 臀部洗浄。 声掛けにて右側臥位とる。体動かなりきつく、「ウー。」と声出しあり。
13:00 KT37.7℃。
昨日に比べ、意識は戻ってきているが呼びかけに答えるのがやっと、という状態だった。 14:30 KT37.5℃、BP102/64。 Ha200ml弱(昨日よりかなり少ない・・・)。氷枕交換。 15:30 時々お腹を自らさすっている。また、毛布を掛けてもすぐどけてしまう。 声掛けには答えるが、腹部が(見た目を含め)かなり苦しそうだ・・・。 16:30 巡回オムツ交換。 タール便(+)、粘液便少。亜鉛華ガーゼ交換。(Y根Ns&S々木Ns) 17:30 Ha250ml強 (まだ、昨日の半分くらいしか出ていない)。 18:00 ラシックス側注。(K谷Ns) 18:15 KT37.3℃。 冷やしたミニタオルを額に当てる。 18:40 Ha300ml。 両下肢エデーマ(+++)。 20:20 BP114/60、KT36.9℃。 Sat90%のため、(鼻に入れる)酸素吸入を開始する(K子Ns)。 20:40 巡回オムツ交換。 タール便(‐)。(K谷&T名網Ns) 掛け布団が重そうだったので、Nsさんに頼んで軽いものに代えてもらった。 21:25 氷枕交換。 Ha300ml。少ない・・・。右側臥位のまま、口内の(粘着状の)痰を きれいになるまでティッシュで拭き取った。 「これで口の中がすっきりしたね。」 と問いかけると、うなずいてくれた。 22:00 「何かあったらすぐに飛んでくるから。」と母に伝え、いったん帰宅することにした。 |
23:30 巡回オムツ交換。 排便(‐)。
(6:20〜8:00/13:00〜22:00)
11月5日(水)
就寝して間もなく(2:00頃)、病室で付き添っている母から緊急の連絡が来た。
「パパが吐血したから、すぐに来て!」
「えっ?」一緒に付き添っていた数時間前まではそんな兆候はなかったのに。
・・・28日のムンテラで、A山Drが言っていたことが、とうとう現実となってしまった。
とにかく今は一刻も早く病院に向かわないと・・・
病室に入るとシーツや着衣を染めた鮮血が目に入った。 一目で深刻な事態になっていることが分かるくらいの量だった。 数時間前にきれいにしたばかりだった口の中は、もうすでに血だらけになっていた。 それ以外にもベッドそばの壁に備え付けてある、吸入器(のようなもの)の中に 吸い出された血が溜まっていた。 200ml〜300mlくらいはあっただろうか? 外が明るくなってきたころ、ようやく落ち着いて周りを見られるようになった。 9:30過ぎにそれまでの経緯を説明するため、会社へ連絡を入れた。 「父が吐血して・・・先生は今日か、明日に・・・。」 その後の言葉がなかなか出なかった。 いざ、その言葉を口に出そうとすると、悲しい気持ちがぐっと込み上げてきて、 言葉がさえぎられてしまうのだ・・・。 |
間もなく、会社や友人関係、親戚の方などが続々と見舞いに訪れてきた。
病室内の父の姿を見て、何人もの方が涙を流していた。
父のために、父だけのために・・・。
同じ頃、主治医のA山先生が回診に来て、父の鼻からチューブを入れて 出血した血液を抜く処置を(I田Nsと)してくれた。 またそのとき、先生は「点滴はKeepで・・・。」と言ってくれた。 ただ、そのことがこの日の担当のM川Nsに伝わっていなかったのかは知らないが、 10時くらいから落とし始めていた側注の(アンコーマ入り)点滴200mlを わずか一時間で落としてしまった。 さらにメインの点滴もそのとき速めていたらしく、食事時間の12時30分頃には 落ちきってしまった。 なくなった点滴に気付き、あわてて担当Nsを呼びに行ったが、なかなか来ない。 なぜ、点滴をNsさんが手薄になる食事時間に終わるようにしていたのか? 前日、尿が300mlしか出ていなかったのだから、速める必要などなかったのに・・・。 こんなに体中が浮腫んでいるのに・・・。 そんなことを考えているうちにだんだん怒りが込み上げてきて、気がついたら ナースステーションに向かって、「点滴ー!」と大声で叫んでいた。 他の看護婦さん(か女医さん)が気付いてあわててM川Nsを呼んできたが、 その日はもう、一言も口を聞く気にはならなかった。 その後も吐血で真っ赤に染まっていたシーツや着衣を交換する気配すらない。 そして(結果的に父の最期の日勤担当となった)そのNsは、そのまま帰ってしまった。 結局、血で染まったシーツと着衣の交換は準夜担当NsのK谷さんとK子さんの2人が してくれました。 「一日中ずっとそのままだったなんて・・・ごめんなさいね。」とK谷さんがシーツを 換えるときに言ってくれた言葉は、涙が出るほど嬉しかったです。 |
夜になり、小康状態になったので私たち家族は順番に入浴のために、自宅へ戻ることにした。
(病院から自宅まではクルマで10分もかからない場所にあるのです)
そして22時から再び家族と身内の者たちが父の傍に付き添った。
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父になるべく苦痛を与えないで過ごして欲しかったので、担当医のA山先生には 延命措置をとらないように頼んであった。 直る見込みのある病気ならともかく、父のガンはもう、どうにもならないものだったから・・・ 父自身の生きる力だけで最期までがんばってほしかったから・・・ 機械やチューブで苦しみながら生かされる姿を見るのは辛かったから・・・ |
そして日付けが変わった6日、2時5分・・・
呼吸が止まり、機械の波形もフラットになった・・・
本当に父が亡くなったのか?本当に・・・本当に・・・? まだそういう実感が湧かない私たちの前で、当直の先生が死亡診断書を書き始めた。 ドラマなどで見たことのある光景が今、目の前で繰り広げられていた・・・。 病室に持ち込んでいた荷物をクルマに積み込むため、駐車場へ向かった。 外は雨が降っていた。 まるで今の私たち家族の気持ちを表しているかのような、冷たい雨だった。 荷物を片付けている間、看護婦さんたちが旅立ったばかりの父を綺麗にしてくれていた。 病室に戻り父の顔を見ると、ほんの少し前まで苦しんでいたとは思えないほどの とても穏やかな表情になっていた。 看護婦さん、綺麗にしてくれてありがとう・・・。 1時間くらい経ったあと、連絡してあった葬儀屋さんが到着した。 父を失った喪失感に浸る間もなく、葬儀の段取りが淡々と組まれていった。 それらが終わったあとで4Fナースステーションに戻り、お礼の挨拶をしてから 病院を後にした。時計を見るともう、5時を回っていた。 家にたどり着くと、脱力感と眠気が混ざった、今まで味わったことのない 何とも言いようのない気分が一気に襲ってきた。 とりあえず今は、少し眠ろう。 長い一日はまだ、始まったばかりだから・・・。 |
この表は私が5日のバイタルの一部を書き留めたものです。最期まで精一杯生きてきた父の、最後の証です。
KT | BP | 出血量 | |
4:40 | KT37.3℃ | 72/39 | 100〜150ml |
7:40 | 37.6℃ | 80/(記録なし) | |
9:15 | 37.6℃ | 65/37 | |
10:00 | (記録なし) | 87/47 | |
11:30 | 37.7℃ | 69/42 | |
13:30 | 37.8℃ | (記録なし) | |
14:15 | (記録なし) | 73/43 | 100ml(破棄) |
15:55 | 37.7℃ | (記録なし) | |
16:25 | 37.3℃ | 62/35 | (Bag内)100ml弱 |
17:05 | (記録なし) | 62/35 | 150ml |
19:45 | 37.3℃ | 59/36 | (+10ml) |
23:05 | (記録なし) | 55/32 |
11月8日(土)
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